越前打刃物の歴史

伝統と歴史

■およそ700年昔、京都の刀匠千代鶴国安が名剣を鍛える水を求めての旅の途中、この地に留まり刀剣をつくる傍ら鎌も製作するようになったのが起源とされている。それ以来、武生は農業用刃物の一大産地となり、それらは北陸独特の行商というかたちで販売された。つまり越前漆器のための漆を求めて全国を行脚していた漆かき職人が、この武生の鎌を大いに利用すると同時に、打刃物類を売り回り、各土地柄に応じた鎌の注文を持ち帰ったのである。

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■越前打刃物、特に越前鎌が全国第一位の生産量を挙げるようになったのは、江戸時代の中期のことである。寛文八年(1668)の越前国の有名な産物を書き上げた史料の中に、鎌・菜刀が含まれている。また寛保年間に記された「越藩拾遺録」下巻産物類に、府中の鎌・鉈が名産品として挙げられており、文化十二年(1815)井上巽章の「越前国名蹊考」にも、府中武生の産物として鎌が挙げられている。また幕末期の史料には、越前国より他国へ移出する商品とその価格の概要が記されているが、それによると、府中武生の鎌・菜刀を移出することによって二万両の入金があったという。

■明治時代になると、廃藩置県により株仲間の解散や保護政策などの手当てもなくなり、生産量の減少とともに品質の低下もみられるようになった。それでも明治7年当時の全国鎌生産量はおよそ353万丁と推定されるが、そのうちの27.5%に当たる97万丁が武生で生産されており、第2位の新潟県25万丁を大きく引き離していた。

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■昭和初期にかけては、絹織物業の発展によって、養蚕に不可欠の桑切包丁と桑切鎌の生産に拍車がかかり、さらに菜切包丁や稲刈鎌の需要も高まって武生の打刃物業界は、比較的平穏な道を歩んできた。昭和54年1月越前打刃物は全国打刃物業界では初めて、伝統工芸品として国の指定を受けた。
指定された打刃物は、包丁、鎌、鉈及び刈り込み鋏である。打刃物業としては全国の業界でも歴史が古く史料も多く保存されており、700年の長期間にわたって優れた製品を全国に供給し続けてきた実績が高く評価された。
■しかしながら現在の出荷額は、全国に占める割合は数%に過ぎず、その産地としての地位は低下している。そこで国の指定を契機として、昭和57年越前打刃物産地四組合が業界の発展をめざし協力体制をとり、産地組合連合会が設立された。そして同年7月には産地振興を目的とする振興計画が通産省から認定されたのである。

越前打刃物のシンボル「こま犬」

■越前打刃物・起源の人刀匠千代鶴国安は、刀をひと振り造る度に、このこま犬(写真は井戸からの出土品実物、高さ約7cm)を彫って、井戸に沈めたといわれています。
 それは、刀は人を殺すための武器であってはならない、武士の象徴として存在してほしい、という「願い」が込められていたのです。

■タケフナイフビレッジのものづくり、伝統に対する考え方、その一つとして、私たちもこの話を大切に語り伝えていきたいと考えています。

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